「お前が逝く時は必ず迎えに行くから、生かされる時間での経験の全てを教えて欲しい」亡くなった者からの遺言を励みに、生かされる日々を楽しむ事にした人間の日記
私と犬達
070411_1326~01.jpg親愛なる貴方へ
私は写真で見る限り物心付く前から、犬と共に暮らしていた。
最初に接した犬は雑種の狐色♂で、かなり温厚というかおっとりしたボケと言った。彼は一歳前後の私が乗ろうが踏もうが、グウグウ寝ているような奴だったが記憶にはない。
一番古い記憶の犬は三歳頃物置の広さがある小屋で父が飼っていたポインターのチェリー♀だが、猟犬だったので撫でた事はない。この子はある正月朝にこっそり首輪を外し、秩父の山へ失踪。そのまま帰らなかった。一時期猟犬は五頭飼っていたと言うが、やはりこれも記憶にない。
”犬を飼った”といえるのは、小学校に通い始めた辺りに近所の土手で拾った薄茶色の雑種ペロ♀だろう。この子は優しい性格で名目上工場の番犬として飼われていたが、外犬だった為に2回も出産した。最初の子供達はどうにか貰い手が付いたが二度目はダメだった。私の弟の選んだ♂犬一匹を残し、母子犬は両親の手によって保健所へ連れて行かれた。
だいぶ後になって両親が嘘をつき、犬達を処分した事を知った為だろう。私はいつも生き物を飼う責任と、人間による生殖のコントロールを真剣に考えている。
さて残した母親似の♂犬ジョンは、何事も男らしい性格で喧嘩も強かったが、弱いものには優しかった。私が17歳の初夏に、放し飼いだった彼は散歩帰りに交通事故にあいながらも、瀕死で帰宅。工場のすみで冷たくなっているのを帰宅した私に発見され、私のコートで包んで土手に埋葬された。
ジョンと同時期、私が15歳頃には叔父が飲み代の欲しかった友人から3万円でヨークシャテリアえお買って来た。しかし叔父宅にはプードルがいて受け入れなかった為、ヨーキー♂は我が家へ来た。
名は功太郎。母以外には油断すると噛み付く犬だったが、まあまあ言う事もきいて仲良く過ごした。これは私が結婚し妊娠中の26歳やはり初夏に心臓発作で逝った。
一緒に暮らした犬はここまでだが、父は功太郎の死後1週間でパグを買って来た。母が驚く程に悲しんだ為だが、デリカシーがなさすぎると周囲は呆れた。母が良い顔をしなかったので私が検診に獣医へ連れて行き「以前から頼んでいたが私は妊娠で飼えそうにないから、落ち込んでいる母に押し付ける事にした」といらん言い訳をしなくてはいけなくなった。
罪のないパグは買われる事になったが、父は自分の亡き父名を取り「善太」と呼ぶ。母は呼びずらいと「パックン」と呼ぶ(病院登録はこっち)。今では犬は両方に反応し、両名で言う事に従う変な奴になって9年目、元気に噛み付かない助かる犬である
私も子育てが一段落ついたらと計画していた通り、ペットショップで売れ残っていたもののコーギーを買った。犬の為にも噛まないしつけを徹底し、元々温和な性格も手伝って鈴は子供にも人気者だ。
問題があると言えば犬に対する吼え癖だが、噛まれたり吠え掛かられたりした事が原因だった。
止めさせたいがどれも失敗中目下どう躾けていいか悩んでいる。

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2007-04-11 Wed 14:43
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